映画を見てきたという話

映画をね、見てきたんですよね

『シン・ウルトラマン

(せっかくだからブログにでも書いてやるかのノリと勢い)

メモ書きレベルの汚さなのでご容赦を。

 

 

0:ウルトラマンへの知識

ほぼ見たことないです。特撮を扱ったバラエティー番組なんかでチラッと見たことがあるくらいの知識しかないです。

「最終回ではゼットンという強大な怪獣が出現し、ウルトラマンもついに倒されてしまうが、科学者が発明した無重力弾で撃破に成功する。この裏には、『ウルトラマンの力に頼らず、人間の力だけで平和を守らなければならない』というメッセージが含まれています。」

そういう番組でこの程度の知識を得ただけです。

 

エヴァの監督の作品だし、『シン・ゴジラ』同様、公共機関と行政機関の力で何とかするっしょwww」ぐらいの気持ちで映画館の椅子に座ってみたんですが・・・

 

 

1:未視聴勢としての感想

「な、すでに5体の禍威獣が倒されている・・・!?」

※禍威獣・・・いわゆる怪獣。何かの配慮?

 

なに?こういう前提知識必要なの???となってしまったが、これは禍特対についての説明も兼ねてこういう展開にしたんだろうと勝手に納得してました。

一体一体を知らなくても全然問題なさそうです。

※禍特対・・・地球防衛軍的な組織

 

物語中盤で出てくる外星人もウルトラマンシリーズの中で出てきたみたいですが、全く知らないもんで原作を知っていればニヤリとするところだったんですかね。

まぁ知らなくても自分なりにこの二体の外星人が出てきた意味を解釈したので大丈夫です。

エンディングロールに使用されていた劇中歌もアレンジされたものが多いらしくて、これも知っていれば・・・

 

とはいっても、物語の本筋は原作の『ウルトラマン』に準えて進行していたんだろうな~ぐらいには見て感じ取れました。

見たことない人でも全然楽しめる構成でしたね。

 

 

2:印象に残ったキャラクター Part1

1人目:神永新二(ウルトラマン) 

※以後、神永(U)

主人公・・・でいいのだろうか?

逃げ遅れた(諸説)少年を自らの命を賭して守ろうとした神永新二の行動に興味を持ったウルトラマンが意識不明となった彼の身体を借りて人間を理解しようと禍特対に入る。

 

映画を見終わって「ウルトラマンに憧れていた人たちがバディの浅見弘子や禍特対のメンバーと触れ合うことで社会性を獲得し大人になる成長過程を表現するための存在。それと同時に、今は大人になったウルトラマンに夢中だった頃の子供たちの投影。」といった印象を受けた。

特に浅見との会話や資料室で読みふけっていた書籍はまさに人間という社会的動物を理解しようとする場面は非常に多く見られた。

 

2人目:浅見弘子

長澤まさみいいよね。

劇中ではバディとは言っていたがそんな感じはしなかった。むしろ母親的な保護者の立場にある人のように思えた。

最初こそ神永(U)の自己中心的な行動に難色を示し正体を隠していたことを叱咤していたが、神永(U)が自分を信頼して行動していたことに気づき浅見も徐々にウルトラマンのことを信頼していく。

んだけど、な~んかバディ感なかったな~って。神永(U)は正体隠すために禍特対からも追跡できないところにいたり情報途絶してたりで・・・

正体を隠していたことを追求していたときも隠し事していた子供を叱るような感じだったんすよね。それを機に神永(U)も会話しないと伝わらないことに気づくきっかけを作ってくれたところに繋がっていっていいやり取りだなと思った。

 

ちなみにこの人のお尻痛がるシーンは好きだった。風呂に入れないことを嘆くシーンも含めて大人になって増える痛みを現代社会にありがちなデスクワークで生まれる痛みに例えているようで上手い演出だった。

 

他にもう二人いるけど、それは後程。

 

 

3:演出面

神永(U)で軽く紹介した物語冒頭は一つの伏線だったと思うがまた別のお話。後程に。

 

最初の禍威獣が出てくるシーンはつい噴き出してしまった。山の斜面の奥から出てくる禍威獣・・・この演出どこかで・・・サキエル・・・?

 

途中で神永(U)の正体がメディアで拡散されていくシーン。ここは何かエモかった(起きている事象は怖いが)。現代のSNS社会でよく見る光景だった。

サンタがどんな人か知りたいように、みんなヒーローの中身が見たいんだよな。

僕もデパート屋上のヒーローショーでどんな人がアクションをしていたか気になったしね。

 

 

4:いくつになってもパンチ・キック・必殺技はカッコいい

物語中盤でザラブとメフィラスという外星人が侵攻してくるが、これが一般的な悪役のイメージとはまた違うものだった。

2人とも共通して「対話と交渉」という平和的な侵略行為を行ってきたことだ。大人になって平和的解決を望むことは往々にあることだけど、これってウルトラマンのような戦うヒーローを否定する一面もあるな~と。対極にある解決手段とでもいうべきか。

子供の頃はパンチ・キック・必殺技で悪役を倒すヒーローになれるよう強くなりたいと憧れた。悲しいことに現実では暴力という言葉に簡単に片づけられてしまう。秩序ある現代社会において到底許されることではないが、こんな矛盾をはらむ人間の社会だからこそ特撮ヒーローとは子供や大人の憧れとして今も愛されているんじゃないのかなとも思う。(僕個人としてはヒーローの攻撃を絶対に暴力なんて言葉に置き換えたくはない)

この辺を上手く表現した主題歌の「M八七」の解像度に震えてしまった・・・

『割れた鏡の中 いつかの自分を見つめていた 強くなりたかった 何もかもに憧れていた』

 

 

5:めちゃめちゃ好きなラストパート

 

大方の予想通りラスボスはゼットンで、これは初代『ウルトラマン』のオマージュなんだろう。

ゼットンの強大な力に滝君が絶望したんだけど、それを諭す船縁さんの一言がよかった。

「生き延びたいから強くなる、そのための知恵と力と勇気でしょ」

この三つの要素を合わせてゼットンを見事倒した。約40秒というわずかな時間で作戦を完遂させるにあたり、緊迫感を出すために画面下にタイムカウントを置いていたのは流石に「あ、エヴァで習ったところだ!!」になってしまった。

ウルトラマンは星に帰らない代わりに神永(本物)に意識を返した。(最後に主人公が目覚めるのももうエヴァでしょ)。

 

ここでいう知恵とは、ウルトラマンが残したベータシステムやそれを基に人類が英知を結集させてゼットンを倒すことだろう。

力とは、それらの知恵を実現させる力もあるが、分かりやすいものとしてはウルトラマンの圧倒的な力だと思う。たびたび禍威獣や外星人を倒してきた力だ。

じゃあ勇気とはなんだろうと考えた。多分、ゼットンという強大な敵に立ち向かう姿勢のことだろう。ただ、この映画の中でもっと勇気を見せてくれた人がいたことを忘れてはならない。

 

 

6:印象に残ったキャラクター Part2

3人目:少年/4人目:神永新二(本物)

いや少年って誰やねん、ってツッコミ入れられるところだけど、映画冒頭で逃げ遅れた少年のことである。神永(本物)は少年を救出しに行くんだけど、少年は逃げる方向がおかしかった気がする。むしろ禍威獣に向かって走っていたように見えた。

一人でも果敢に禍威獣に立ち向かおうとする少年はまさしく子供の頃にテレビの中で活躍するヒーローに憧れていたあの頃の自分そのものだったんじゃないだろうか。力や知恵なんてなくても勇気だけで誰かを守れると信じていたあの頃の自分だったんじゃないだろうか。

また、明らかに救助は自衛隊員の役割だと分かっていても、少年を危険から守ろうとし一人走り出した神永(本物)もまた、テレビの中で見ていた子供を守る大人のそれだったんじゃないだろうか。

神永(本物)は意識不明になってから最後まで本人の意識で何かをしたわけではないが、「子供の頃にウルトラマンを見て育った今の大人」そのものだった。少年を助ける勇気を持ったまま大きくなった自分もまたウルトラマンのようなヒーローだったことに気づいてこの映画は幕を閉じた。

 

 

7:まとめ

ありきたりな感想かもしれないが、この映画は「ウルトラマンという作品を見て育った人たちへの感謝を込めた作品」だと思った。

ウルトラマン、ひいてはヒーロー作品を見て大きくなった大人たちに向けた最高の映画だった。

 

 

おまけ

・疑問点

禍威獣を怪獣で呼んでいないのは怪獣ファンへの配慮だろうか?

・主題歌

米津玄師の解像度ヤバすぎだろ・・・何回も聴き直してる

・その他

ウルトラマンをガチで追っかけてるフォロワーはどんな気持ちでこの映画を見てたんやろか?

初心者にわかエアプ視点のワイと違ってどんな感想を抱いたか気になる。

 

 

 

長くなりましたが、クッソ汚い文章にも関わらず読んでいただきありがとうございました。

またどっかで映画の感想を投げられたらいいなと思います。

ホントに『シン・ウルトラマン』を見ることが出来てよかった。

 

"ありがとう、ウルトラマン"